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古代

神と仏にささげる
新しい祈りの道

 宇佐神宮を出発し、国東半島の中心に位置する両子寺へ。その道中はのどかな里山風景が広がる。しかし、国東半島の中央を目指すにつれ、荒々しい岩山が連なっていた。
 国東半島最高峰の両子山から延びる谷筋に沿って、6つの郷で開かれた寺院群を「六郷満山」と呼ぶ。約1300年前に宇佐八幡神の化身とされる、仁聞菩薩によって開かれたと言われている。
 その六郷満山の総持院、天台宗の別格本山であった両子寺にたどり着く。見上げると山々に守られるように境内が見える。立派な護摩堂は、その外見から厳しい修行の場だったことが想像できる。木々に囲まれた境内は、緑の頃はなんとも清々しく、秋には錦をまとったような美しい紅葉に包まれる。境内を歩くと、縦に長く境内がつくられていることに気付く。僧侶たちはきっと山の高低差を利用した修行をしていたことを体感しながら、息を切らして奥の院へと続く急な石段を一歩ずつ踏みしめる。
 やっとの思いで上りきると、崖を這うように立つ奥の院が見えた。手を合わせながら、呼吸を整える。奥の院には双子の神様が祀られていて、子授けのご利益で知られる。深呼吸をして、奥の院の裏側にある岩屋へ入る。空気の流れが止まったような静けさを留める。波を打つような凹凸のある岩肌は、仏像のシルエットにも見えた。この岩屋で僧侶たちは長い月日を過ごし、自然と、神仏に力を授けてもらっていたという。

悟りの道を歩く 峯入行

 国東半島には、六郷満山を開いた仁聞菩薩によって作られた28の岩屋があり、すべての岩屋で修行する「峯入行」がある。踏破した僧侶だけが宇佐神宮の弥勒寺に僧侶として務められ、放生会に携わることができた。
 峯入は6日間かけて約150キロにおよぶ険しい山や谷を、命をかけて歩く荒行。10年に一度、今でも六郷満山の僧侶たちが行っている。最近では、この修験道をベースとしたトレッキング「国東半島峯道ロングトレイル」で、当時の修行の道を歩くことができる。

自然に神仏を宿す 石造文化

 お参りを済ませ、昔ながらの参道を通って、仁王像のある場所へ向かった。
 小さな無明橋の向こうには、凛々しい表情に筋骨隆々とした石の仁王像がにらみを利かせて佇んでいる。その表情と造形美に見とれてしまい、しばらく足が動かなかった。
 石に込められた祈りの形は、国東半島独特の貴重な文化遺産。小さな野仏から、崖に彫り込まれた磨崖仏、国東独自の国東塔、五輪塔など、種類はさまざまある。石造仁王像は、全国の約8割が国東半島に存在している。両子寺のたくましい姿や、ユーモアある表情のものなど、数ある寺院を見比べて歩くのもおもしろい。
 一心不乱に彫ることで、かつての人は純真無垢な祈りを込め、その石造物の繊細さ、迫力から、僧たちの信仰の深さを感じた。
 国東半島をめぐると、山深い場所にたくさんのお寺があることに驚く。このような場所にどうやって立派なお寺を建てたのか、こんなに多くの石造物が作られたのか、見当もつかないほど、神仏習合の思想がここかしこに残る。寺で学び、岩屋で自分自身を磨く僧侶たちは、仏教により得た知識と技術を駆使し、弥勒寺を目指したのだろう。天地自然を敬い、ただひたすらに祈りをささげて。

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